隣の芝生は青く見え、他人の原稿ミスはよく目立つ?
隣の家の庭は大して手入れもしているようにも思えないのですが、
本当に綺麗に見えます。
それに比して我が家の庭と来たら荒れるにまかせています。
もっとも、我が家の庭は高齢の義母と重度身体障害者の妻、派遣社員の
息子、そして主夫もどきをしながら、片手間に在宅副業に励む私では、
庭の手入れなどはほとんどほったらかし状態です。
また、昔話になりますが、活版印刷文選工という仕事は、他人の書いた
原稿を見ながら活字を拾っていくわけで、明らかなミスは訂正したり
して作業をするわけです。
若い頃の私は、一時、手紙や投稿文をよく書いたものですが、漢字を
なるべく多く使っていた時期がありました。
例えば、「御無沙汰致して居ります」「宜敷く御願します」「左様で
御座居ます」「何の事・・・」「何処へ・・・」などと粋がって書いて
いました。
ところが、新聞や雑誌を読むとひらがな表現が多くなっていることに
気がつき、それ以後は他人の原稿であっても、なるべくひらがなに
直して活字を拾うように心がけるように努めました。
とはいえ、最近のテレビ画面や新聞を見ていると、漢字制限がある
ために難しい言葉は漢字とひらがなで表記されるというのは、なんとも
不自然極まりない思いです。よけい意味がわからなくなるような気が
します。
一例を挙げれば、自衛隊「駐屯」が「駐とん」というふうに表記される
ようにです。他の言葉に代えるとか「屯」を例外的に使うとか出来ない
ものかと感じます。
ただし、引用文献や旧漢字、旧かな遣いの古い文献史料などは、極力
原文に近い旧漢字や本字を使って、原文に忠実に従うように仕事を
してきました。
それと著名な作家やエッセイストの原稿だけは、さすがによほど酷い
誤脱字がない限りは手を入れることは出来ませんでした。
文章で飯を食っているような人の文は、畏れ多いし、下手なことを
するのは失礼だという意識を持ち合わせていたからだと思います。
雑誌などの古文献引用文やわざと旧漢字、旧かな遣いを使う作家が
書いた文章中に略字体がところどころに混じっていようものなら、
発行元の出版社に対して即刻どちらかに統一してほしいと注文を
つけたこともありました。
ここまで来ると一種の漢字オタクになってしまいそうですね。
ある日のこと、ある団体の偉い人が書いた原稿があまりにも古色蒼然
としたものだったので、片っ端から現代風のひらがな表記に換えて
全文の仕事を終えました。
しばらくのちに戻ってきた校正用ゲラ刷りには、すべて元の原稿どおり
に訂正するように赤字が入っていました。
校正部門の人が手を入れたのか、ご当人が人の原稿を勝手にいじりゃあ
がってと頭に来たのかは分かりませんが、よけいなことをしてしまった
かなと思ったものです。
別に誰からもお咎めも受けなかったということは、ご本人が校正をした
ものと理解していいと思います。
こんな調子で他人様の書いた原稿のアラとかミス、誤脱字というのは
職業柄よく目立ったものでした。
いざ自分が原稿を書いたり、パソコンに向かって原稿をタイピングした
後で見直すと全く誤字脱字、誤変換の山で、こんなはずではなかった
のにという臍(ほぞ)を噛む思いです。
文字や活字へのこだわりというか執念みたいなものがあって、ワープロ
が普及しだした時分には、年賀状の印刷のために「謹賀新年」という
文字をアレンジして、亥年ならば豕偏に菫を付け、加に豕を付けて、
遊び感覚で作ってみたこともありました。
当時のワープロには縦横半角の漢字機能があったように記憶していますが、
あるいは豚と謹、加と豕を切り貼りして繋ぎ合わせたのかもしれません。
現在では、動画も立体的画像もパソコンで作られてしまう時代になり、
もはやワープロは過去の遺物と化してしまいましたが、やはり他人の
原稿ミスに目が行ってしまうのはどうしょうもない性(さが)みたいな
ものです。
最近は視力も落ちてきて、隣の芝はますます青く見えるようになり、他人
どころか自分の原稿がミスだらけに見えるようになってしまいました。
本物を見抜く目を持って見えて来た真実。
それはココ↓にこそあります。
http://adv.ciao.jp/wt1/new1.htm
本当に綺麗に見えます。
それに比して我が家の庭と来たら荒れるにまかせています。
もっとも、我が家の庭は高齢の義母と重度身体障害者の妻、派遣社員の
息子、そして主夫もどきをしながら、片手間に在宅副業に励む私では、
庭の手入れなどはほとんどほったらかし状態です。
また、昔話になりますが、活版印刷文選工という仕事は、他人の書いた
原稿を見ながら活字を拾っていくわけで、明らかなミスは訂正したり
して作業をするわけです。
若い頃の私は、一時、手紙や投稿文をよく書いたものですが、漢字を
なるべく多く使っていた時期がありました。
例えば、「御無沙汰致して居ります」「宜敷く御願します」「左様で
御座居ます」「何の事・・・」「何処へ・・・」などと粋がって書いて
いました。
ところが、新聞や雑誌を読むとひらがな表現が多くなっていることに
気がつき、それ以後は他人の原稿であっても、なるべくひらがなに
直して活字を拾うように心がけるように努めました。
とはいえ、最近のテレビ画面や新聞を見ていると、漢字制限がある
ために難しい言葉は漢字とひらがなで表記されるというのは、なんとも
不自然極まりない思いです。よけい意味がわからなくなるような気が
します。
一例を挙げれば、自衛隊「駐屯」が「駐とん」というふうに表記される
ようにです。他の言葉に代えるとか「屯」を例外的に使うとか出来ない
ものかと感じます。
ただし、引用文献や旧漢字、旧かな遣いの古い文献史料などは、極力
原文に近い旧漢字や本字を使って、原文に忠実に従うように仕事を
してきました。
それと著名な作家やエッセイストの原稿だけは、さすがによほど酷い
誤脱字がない限りは手を入れることは出来ませんでした。
文章で飯を食っているような人の文は、畏れ多いし、下手なことを
するのは失礼だという意識を持ち合わせていたからだと思います。
雑誌などの古文献引用文やわざと旧漢字、旧かな遣いを使う作家が
書いた文章中に略字体がところどころに混じっていようものなら、
発行元の出版社に対して即刻どちらかに統一してほしいと注文を
つけたこともありました。
ここまで来ると一種の漢字オタクになってしまいそうですね。
ある日のこと、ある団体の偉い人が書いた原稿があまりにも古色蒼然
としたものだったので、片っ端から現代風のひらがな表記に換えて
全文の仕事を終えました。
しばらくのちに戻ってきた校正用ゲラ刷りには、すべて元の原稿どおり
に訂正するように赤字が入っていました。
校正部門の人が手を入れたのか、ご当人が人の原稿を勝手にいじりゃあ
がってと頭に来たのかは分かりませんが、よけいなことをしてしまった
かなと思ったものです。
別に誰からもお咎めも受けなかったということは、ご本人が校正をした
ものと理解していいと思います。
こんな調子で他人様の書いた原稿のアラとかミス、誤脱字というのは
職業柄よく目立ったものでした。
いざ自分が原稿を書いたり、パソコンに向かって原稿をタイピングした
後で見直すと全く誤字脱字、誤変換の山で、こんなはずではなかった
のにという臍(ほぞ)を噛む思いです。
文字や活字へのこだわりというか執念みたいなものがあって、ワープロ
が普及しだした時分には、年賀状の印刷のために「謹賀新年」という
文字をアレンジして、亥年ならば豕偏に菫を付け、加に豕を付けて、
遊び感覚で作ってみたこともありました。
当時のワープロには縦横半角の漢字機能があったように記憶していますが、
あるいは豚と謹、加と豕を切り貼りして繋ぎ合わせたのかもしれません。
現在では、動画も立体的画像もパソコンで作られてしまう時代になり、
もはやワープロは過去の遺物と化してしまいましたが、やはり他人の
原稿ミスに目が行ってしまうのはどうしょうもない性(さが)みたいな
ものです。
最近は視力も落ちてきて、隣の芝はますます青く見えるようになり、他人
どころか自分の原稿がミスだらけに見えるようになってしまいました。
本物を見抜く目を持って見えて来た真実。
それはココ↓にこそあります。
http://adv.ciao.jp/wt1/new1.htm
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